※本稿は麻雀というゲームを主体に語ろうとしており、このゲームのルールを知らないと、ちょっと分かりづらいかもしれません…………………ま、それでも読んでもらえると嬉しいです(´・ω・`) ■序文現在、週刊少年サンデーで連載中の「ギャンブルッ!」(作・鹿賀ミツル)についての紹介と解説を書こうと、以前から考えていたのですが、さて実際に、どこから話し始めたらいいのだろう?と迷っています。 200XX年、政府はギャンブルを全面合法化!日本はギャンブル天国となった!少年・マサルは行方不明の父を捜すため、最強のギャンブラーになるため、暗く険しいギャンブルの世界で勝負を始める!初戦は、勝負師ボスを相手にチンチロリン対決!!そして絶体絶命の状況に追い込まれたマサルが、その悪魔的な博才を開花させる…!!(第一巻単行本裏書き)→というのがこの作品の大体のあらましなんですが…。 …ところで皆さんはギャンブル(賭博)とは、どんなゲームだと思いますか?「ゼロサムゲーム」とか、「確率のゲーム」とか、「心理戦」のゲームとかいろいろな捉え方があると思うんですが…そういった中で、一つの捉え方としてあると思うんですが。ギャンブルというのは 自分のツキを当てっこするゲーム …こういう考え方があると思います。この視点に基づいて「ギャンブルッ!」を読むと、きっと凄く「愉しめます」よ?読んでみてね?というのが結論と言えば結論なんですが(汗)まあ、それに合わせてもう少しいろいろ喋りたい事があるので続けますw 自分のツキを当てるというのは、自分がツイているか?ツイていないか?を当てるという意味ですが、でも、そんな大雑把なゼロイチ、有り無しの判断レベルでは駄目です。もっと細かく読んで行かなくては“使い物”になるレベルに達しません。使い物になるレベルというのは、たとえば自分が「3回連続で勝てるツキの状態」ならば3回連続で勝負するべきだし、4戦目は止めるべきなのです。(←“べき”なのか?ここらへん騙されちゃダメダ!ww)あるいは自分が「10戦やって7勝3敗するツキの状態」なら、10戦して7勝し、そしてキッチリ3敗もするべきなんですね。…意味分からないですか?まあ、とにかく「ツキの当てっこするゲーム」という観点はそうやってツキを読む精度を上げて行く話なんですw こういった「ツキを読む」やり方に対して「確率に沿う」というやり方があります。「確率」は数学的に明確な回答を出してくれるので「ツキを読む」などという一種、迷信めいた考え方より、はるかにギャンブルの場で利用されて来たと言えます。たとえば、昔からギャンブルには「倍々プッシュ」といわれる戦略があります。(「マーティンデイルシステム」とも言うらしいですね。「ギャンブルッ!」の中でそう紹介されていました)オッズ2倍が成立する賭けにおいて、最初に賭けた元の金額に対して負けたら、次は2倍の金額を賭け、その次は4倍の金額を賭ける…という具合に常に倍々の金額を賭けてゆけば、競技にプレーヤーが勝てる確率が正当に存在するのであれば、1回の勝ちで必ず最初に賭けた元の金額分がプラスになるという戦略です。一回勝てばプラスになる賭け方で、しかもどこかで必ず1回勝てる可能性が存在しているのですから、確率論的に言えば“必勝法”と言えます。 しかし、実際には賭け金の上限があったり、資金の問題で、この戦略が100%保証された賭場はまずないと言ってよく、また、僅かなプラスに対して、ともすれば全財産を賭ける事を覚悟しなくてはならない手法なので、その意味であまりワリのいい戦略とも思われてはいません。 …思われてはいないんだけど制限付きでもやる人はいますねwたとえば自らの勝率が50%と言える賭場においては、その自分が5連敗する確率は…32分の1…3.125%、そういう計算が成り立つことになります。これはつまり5連続で倍々プッシュできる資金が元手にあるなら「マーティンデイルシステム」を使えば、自分が負ける(マイナスになる)可能性は3%強に過ぎない。…これって、なかなか割のよい勝負に思えません?w しかし、実際にこういう戦略をとる人は…ものの見事に大金を失う事も少なくはない。僕も「麻雀」とか「競馬」とかで何人か恐ろしく散財した奴を見てます。まあ、そもそも勝率50%と言い切れる賭場が少ないって事もありますけどね。(勝つ可能性が必ず存在する限りは倍々プッシュの戦略が死ぬわけではないんですけどね…)しかし、確率を信じるならば、確率的に効率のよい戦略である事を否定できる材料はありません。 この「倍々プッシュ」の戦略について「ツキを読む」の観点からの答えは、わりとハッキリしています。「自分がツイてない時に大金(倍々に耐える資金)を賭けるのはバカのする事」ですね。たとえ“確率的”に敗北の可能性が低かろうとです。その低い可能性が来るのがツイていない状態なんですから。 そもそも倍プッシュしているって事は「勝てると思って乗った賭け」の一発目を物の見事に外したって事ですよね?その時点で、今、自分のツキが一体どういう状態なのか考えてみようよ?って事です。ただ「確率に沿う」のは計算さえできれば考え無くっていいから楽なんでしょうけどね。「最初のアテが外れたにも関わらず、その倍額を賭けて次の自分の運を占う」なんて行為は「ツキを読む」観点からはあり得ません。…それでも自分にある程度のツキがあると判断するなら、やってもいいのでしょうけど、まあ少額の儲けのためにそのツキを使ってしまうのは(使う?)あまり効率の良い話ではない…となります。…いや(汗)だから、そもそも賭け事をする奴がバカという話は置いておくとしてw(汗) …で、です。しかし、こういった運やツキという考え方は時として非常に迷信的に語られるんですが、これについて、これから紹介しようと思っている麻雀マンガ「ノーマーク爆牌党」で面白いやりとりがあるので引用します。 ←「ツキや流れと言った物は、結果に対して理由をつけたい人間が生んだ思い込みに過ぎない。実際にあるのは関連性のない偶然が積み重なった現象だ」と主張する鬼押出という麻雀打ちに対して、この作品の主人公・鉄壁保は確率統計において起こる数字の偏りを示して「これが流れや勢いにあたる」と説明しようとします。鉄壁「確率のパラドックスなんですけど。あるビンに細かい赤と緑のビーズを入れて完全に混ざるまでシャッフルします。どうなるか?きれいな中間色ができあがると思いますか?実際はほとんどの場合が赤と緑の“かたまり”ができきれいなモザイク模様になるんです。これをダンゴ現象といいます。このダンゴの部分が流れとか勢いとか呼ばれる部分です」 まあ、この説明だけでは問題点はいろいろとあるのだけど、コインの表裏ゲームをN回試行するとして、その時コインは表→裏→表→裏とキレイな出方はしない、必ず一定の偏りが生じるよね?という話です。…こういった偏りを無視して「確率論」を信じるとはどういう事か?“常に”最も確率のよい手筋に沿うというのはどういう事か?というと、つまり「確率の神様が“常に”平均平衡の答えを自分にもたらしてくれるものだと信じる」ような話になる。出目に偏りが起こる事を知っているにも関わらず、自分が試行する範囲においては平衡された結果が得られると“信じている”事になります。つまり自分にとって「確率の神様」はジャスティス(公平)だと。 実際には「確率の神様」は一人間の都合を越えて偏るなんて全然平気だし、その可能性がゼロでない限りはどんなに確率の低い奇跡的な事でも顕現させる事にも何の不都合も感じていません。にも関わらず「そうで無かれ」と願うというのは、実は、出目の偏りを認めて自らがどういった偏りの状態にあるかを測ろうとする「ツキを読む」の観点よりも、ずっと“神を頼みにする”迷信的行為だと言う事もできます。 …いや「ツキを読む」観点からは、ですよ?(汗)そもそも、そんな確率の偏りなんか人間には分りはしないって観点で語っているのが「確率の高い方に沿う」やり方であり、これに対して明確に再現性のあるツキの判別方法というものを示す事例は基本的にないと言ってもいいのが現状です。(ここらへんの認識が甘い人は、都合良く、ごちゃ混ぜにして語りますね。確率が低い事が起こらないわけではないのに「確率の高い事をしたのに!」とくさし、ミスして確率の悪い事をしたのに「ツイてない!」とくさする) しかし、すっかり長々と話しましたが(人間に予測し得る)ツキというものが果たして存在するのか?あるいは思い込みやまやかしに過ぎないのか?という真偽の問題は、実はこの話の主題ではありません。(←な、なんだって〜!!??)重要なのはこれから、いくつかの作品を紹介しようとしている“麻雀マンガ”というジャンルにおいては、ずっと、こういった ツキを如何にして見切るか? という観点の話が、延々蓄積されてきた経緯があるという事です。最初に分り易く「ツキの当てっこをする」と表現しましたが、そんなレベルではなく、ツキを測り、なおかつ制御するという事が大真面目に作品の中で語られてきたのです。(全ての作品が、というわけではないですが)繰り返しますが「ツキを読む」という話の真偽は主題ではありません。このサイトは物語の「面白さ」を語るサイトなので、重要なのはその観点が「物語」にどういう「面白さ」をもたらしたか?という事です。 さて、では本題です。皆さんはTCG(トレーディング・カード・ゲーム)バトルのマンガとかを読んで、どうにも敗色濃厚な立場に立たされた主人公が「運命のドロー」で大逆転のカードを引いたりするのを見て「なんでえ!結局、運が良かっただけじゃないか!(主人公が凄いのではない)」とツッコンだ事はありませんか?あるいは麻雀マンガで主人公が見事、ライバルに対して大逆転の手を直撃したとき、そのライバルが…「くっ……さすが○○だ。まさか、この牌で待っているとはな!」とか言って主人公を讃えるのを聞いて…「いやいや!そもそも、この人、土壇場で配牌とヒキがメッチャいいから!?ワケの分からんヒキの良さでライバルを引っかける牌を引いてきているだけだから!」とツッコンだ事はないででしょうか?…僕はありますw どんなに熱いバトルを展開しても、どんなに凄い大逆転劇でも、その理由が何のひねりもなく「運が良かったから」だけでは大抵の読者は冷めてしまうハズです。運の要素が強い競技を扱ったマンガの場合(少なくとも真っ当に戦う限りは)、こういう時、せいぜい「主人公の諦めない心が運を呼んだんだ!」とか、くらいしか言えない状態があったのですが、しかし、これに対して麻雀マンガ誌「近代麻雀」を中心とした麻雀マンガは「ツキを読む」、「流れを読む」という考え方で読者の納得に応えてきました。…元々、麻雀の戦術論の中にある言葉なんですけどね。また「試合の流れ」って言い回しは麻雀に限らず、あらゆる競技で使われる言葉ですね。これについては後述するとして、もう一度、「ノーマーク爆牌党」の今度はラストシーンを引用します。 ![]() 鉄壁「そうさ、爆岡、リーチだよ。何故なら、お前の信じなかったものがそこにある。“流れ”はお前に[C][F]をつかませる」 主人公の鉄壁保は「運頼み」となったそのラストシーンで「頼む!運命よ![C][F]であってくれ!」と祈る事をしません。ただ、そこには[C][F]があると確信している。勿論、鉄壁は透視能力者でも霊能者でもありません。どこにでもいる平凡な普通の男です。しかし、「流れを読む」ことを考え、どうすれば自分に良い流れ(ツキ)がくるのか、明けても暮れても考え続けた男だからこそ、そこに[C][F]がある事を確信している。限られた天才しか到達できないような“ゾーン”に、凡人が、箍を外す事なく、狂う事無く、堂々と踏み入ったしびれるシーンです。 …もう、言わなくても分かると思いますが、僕はこの「ノーマーク爆牌党」をもの凄い大傑作だと思っていますwこの物語の主人公の鉄壁保は、おそらくあらゆる競技マンガの主人公の中で、群を抜いて運と才能を持たない主人公として、存在しています。作者の片山まさゆき先生は、麻雀マンガにおいて「運の無いものはどう戦えばよいか?」という事を大きなテーマの一つとして扱った作品を多数描いている人なんですが、鉄壁保もこの一人ですね。普通マンガのあらゆる主人公は、なには無くとも「運」だけは持っているモノなんですが、この鉄壁保は繰り返し、繰り返し、あらゆる局面で「運がない」キャラクターとして描かれ続けています。 先に、TCGバトルで都合良く逆転のカードを引いてくる事を揶揄しましたが、これはTCGに限った事ではなくって基本的に、あらゆるマンガの主人公は「運の支援」を受けているからこそ主人公足りうるのです。しかし、鉄壁保の物語は「流れ(運)は自らが作り上げて行くものだ」という観点から編まれて行くからこそ、この「運の支援」からある意味で脱却した主人公と言えるわけです。 そして鉄壁保には才能もない。これも多くの競技マンガの主人公は努力型の物語のように見せていたとしても「結局、この主人公天才だったんじゃん?」という指摘を受ける者が多いと思うのですが、鉄壁はこれからも脱却した主人公と言えます。…いや、正確には鉄壁には“守備”という才能があるのですが、それはそもそも“運”が無いからこそ磨かれた技術というべきで、鉄壁が宿敵と定めている爆岡弾十郎をはじめとしたキラ星のような天賦の運をもった雀士たちに比べて、凡人である事が強調されています。これも「流れ(運)をつかむ事で戦って行く物語」だから、自らの才能を最強の武器として表現する事が必須ではないからこそ可能な事と言えます。 つまり「ノーマーク爆牌党」というマンガは、運も才能もない凡人が、悪魔のような頭脳を持った天才に対して「流れ(運)をつかむ」という努力をもって勝利するという、真の意味で「凡人が天才を凌駕する」事を実現した作品なんですね。 しかし、惜しむらくは一般にあまり知られていない。…それは麻雀自体のマイナーさもあるけど、今、話している「ツキを読む」、「流れを読む」という特殊な文脈が麻雀マンガ・ファンの間にしか通じない面があるかだだと思います。これは後述しますが、実際、片山まさゆき先生は、この文脈をもう少し分かりやすい形にしてメジャー誌に持ち込もうとしたのですが、これは失敗しています。 また「ノーマーク爆牌党」は解説がけっこう少ないマンガで、この文脈を理解せずに読むと「……はあ?」という感想を持つかもしれません。読者は麻雀打ちの様々な情報から、見えない相手の手牌の形を探ろうとする連中ですから、麻雀マンガも自然と読み込むもので、余計な解説を語られるのは返ってうざいって事があるのかもしれませんw でも、この「ツキを読む」文脈は本当にシビれる世界を見せてくれるんですw これは「ノーマーク爆牌党」に留まらず、この観点の麻雀マンガはすごく満足感を与えてくれる良作が多いです。(絶版のものも多いですが…)そして件の「ギャンブルッ!」は、これら麻雀マンガの影響の程はわかりませんが、上述の要素を凄く上手く、少年誌に持ち込んでいるように見えます。まあ「ギャンブルッ!」自体は現在も連載中の作品であり、その物語がどこへ行き、どのように終幕するかは分からない事なんですが、他の作品の紹介も兼ねながら、僕が「ギャンブルッ!」を愉しんでいる、バックグラウンドを書き綴って行きたいと思います。 2008/07/23
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